二大家紋の「木瓜紋」と「蔦紋」
(1)木瓜紋 |
|
古くは「 」の字を用いた。「 」は穴の中にある鳥の巣の意味である。昔の木瓜紋は現在のような完成されたものではなく、内側に小さな丸が点在しているような形であった。これは鳥の巣を思わせるものであったので「 」紋と呼ばれたのであろう。
平安時代には宮中や寺院などでひろく御帳(みちょう)・御簾(みす)を用いたが、その上部、上長押(うわながし)などに横に長く一幅(ひとの)の絹布を引き回した。この布を帽額(もこう)といった。このへりに「 」の紋を染め出していたのである。この「 」紋が帽額の紋であり、それがモッコウ紋と呼ばれるようになったのである。
また、木瓜(きうり)すなわち胡瓜(きゅうり)の切り口に似ているのでこれから用いられたとか、バラ科に属する木瓜(ぼけ)からきたものとかの説があるが、これは間違いである。「 」紋を木瓜紋と書く理由はこのあたりであろうが、帽額の「 」紋に由来するとみて間違いない。
この「 」紋は、すでに中国で唐の時代に官服の紋様として用いられていた。衣装や調度品の文様としてわが国に伝来し、奈良時代から平安時代に盛んに用いられ、また絵巻物などにも数多く描かれている。そして家紋に転化したものである。
|
(2)蔦紋 |
|
蔦はブドウ科の蔓性落葉植物で、日本、韓国、中国に広く分布する。夏には黄緑色の小花を付け、秋には紅葉して美しい。蔦は古くから人々に観賞され、『万葉集』『枕草子』『栄華物語』などに載っており、また文様として絵巻物などに多く見られる。
蔦が家紋として用いられた理由は、その風趣が美しいことと、その繁殖力の旺盛なことから家の将来への発展を願う意味があるといわれる。
また蔦は他のものにまとわり付き繁茂するので、蔦紋は封建時代は女性の紋として好んで用いられた。
歴史上で蔦紋が最初に現れるのは、足利時代で『見聞諸家紋』に載っており、徳川時代になると藤堂、松平、六郷などの大名家が使用し、多くの幕臣が用いた。現在も十大家紋に入り、使用家もきわめて多い。 |
|